[p.1343][p.1344]
笈雉随筆

松前 奥州津軽秋田の辺は、すべて北向なれば、常に陰風砂塵お飛して、天色平生どんみりとして、大虚の碧瑠璃の色お見る事なし、呉竹集に、冷泉為家卿の歌あり、 胡砂ふかば曇りもやせん陸奥の蝦夷には見せそ秋の夜の月、とよめり、世に伝ふ蝦夷人は日本人と交易するに、若その価ひ相応せずして、夫お責はたらるヽ時は、恥て面お合せかね、胡砂お吹忽ち我姿お隠して遁るヽ故に、此和歌其心お含りとぞ、誠に奇事といふべし、 十方庵曰、紹巴の発句に、春の夜や蝦夷かこさ吹空の月といへり、こさとは彼地の笛の類にして、口に夕などお含み、空に向て吹上、其辺の月影おくもらせて漁捕しけるか、又一説に山中海辺などへ出るもの、落たる木の葉お拾ひ取、きり〳〵と巻て是お吹に、実に笛音出して愁情お催せり、是おこさと雲なりとぞ、〈◯中略〉 或は蝦夷人は能霧お吐て身お陰すの術有、又は木の皮のいかにも厚きお巻て、簧と覚しき所に小さき竹あり、隻空然たるのみ、水に浸して吹ば、隻竹お打抜て、吹音の如し、是お胡障(こさ)といふ、胡障は則胡笳也、笛の声に山気立登て、月曇るともいへり、是か地の籟なり、