[p.1345][p.1346]
蝦夷東西考証

西蝦夷(○○○) 蝦夷の西の海際なる宗谷より、船路二十里に足らずして、〈蝦夷拾遺には、此船路お十五里といひ、北海記には十八九里といひ、蝦夷国撿地図には十八里といへり、或書も是に同じ〉加良敷登洲(○○○○○)に到る、此洲国最も広くて南北の宣は二百里に余り、東西は百里に近しといへり、〈其狭き地にては廿五里ばかりなる所ありとぞ〉東蝦夷の来莫後、江濘府、潤津生等の島に対へれば、是お西蝦夷といふ、〈◯中略〉此加良敷登洲お外国の夷等は薩喝連(○○○)〈又沙喝里印とす〉と雲、これは於旅志耶国の境お経て、満州山丹より海に入る薩喝連江の末に、此洲の北尽の近く指向へる故に、彼方より号て薩喝連といへるにて、本邦人は用べき名にあらず、