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琉球は、一に沖縄(おきなは)と雲ふ、薩摩の西南海中に在り、東北より西南に宣り、凡そ二十七里東西広き処十里、狭き処一里余、南北凡そ十里、周廻凡そ七十四里、地勢狭長、山川の称すべきなし、中世画して三区と為す、中頭、島尻(しましり)、国頭と曰ふ、而して大小数十の島嶼之に属し、点々海中に散布す、 琉球開国の始祖お天孫氏と曰ふ、相伝ふること二十五世、島中大に乱る、浦添按司尊敦、代り立て全島お統ぶ、是お俊天王となす、尊敦は源為朝の子なりと雲ふ、永享年中、将軍足利義教、薩摩の守護島津忠国に琉球お賜ひ、其附庸とす、是より先、琉球明に通ず、是に於て皇朝及び明に両属す、既にして漸く使聘お修せず、慶長十四年、島津家久、将軍徳川秀忠に請ひ、将お遣して之お伐つ、是より世々貢礼お修す、明治維新の後、詔して藩と為し、国お西海道に属せしむ、後又藩お廃して沖縄県お置き、全島お統治せしむ、