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倭訓栞
前編三十八利
りうきう 琉球、瑠球、流求、竜宮など書り、今中山と称す、慶長十九年、王自来朝す、南島志に、山海経の南倭也といへり、明史に、万暦四十年、日本果以勁兵三千入其国、虜其王還、遷其宗廟、大掠而去と見ゆ、薩州の兵の時也、安永四年五月に、志摩鳥羽浦に漂流す、十二三間の船也、船主照屋筑登之、船頭宮里と、水主以下十八名、髪結たる所に銀の笄二本お指り、又真鍮とあり、