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西遊雑記

薩州の地より、琉球迄の海上、諸板にも顕し、琉球志抔にも其実説委しからず、今土人の言所、山川といふ津より南の方にあたりて、凡三百里計、夏冬によつて船路の替り有といへ共、其間に連る島大小三十余、何れも船懸ある島にて、大坂へ往来せる海上よりも安し、薩州大隅の浦々に、国守よりのゆるしの廻船ありて、一け年に幾度といふ御定めありて渡海する也、鹿児島よりも、士格の人数琉球の地へ渡りて勤番する役所も有る事にて、米のよく生ずる風土にて、二十余万石薩州上納す、近き年の事にや、琉球すべて旱魃して、稲熟せず、〈暖国にて稲は五月熟頃也、〉国民飢渇せんとす、此時には、薩州侯数石の米お渡してすくひ給ふ年あり、すべて琉球人日本の風俗お慕ひて、薩州に属せるといへども、中華福建省の地へ近く、やヽもすれば福州の為になやまさるヽ事によつて、福建省の下知にも応じて聘礼する事也、薩州にては、知りても知らぬ体にて、是迄済来りしといふ、