[p.1377]
琉球入貢紀略
弁誤
永享年間琉球使来るの弁 室町紀略雲、永享十一年七月、是歳琉球国入貢、〈琉球入貢始見〉また琉球事略に、後花園院宝徳三年七月、琉球人来りて、義政将軍に銭千貫と方物お献ず、これよりしてその国人兵庫の浦に来りて交易すといふ、しからば彼国の使本朝に来ることは、尚金福が時おもて、その始めとすべきかといへり、これらの説みな誤りなり、按ずるに中山伝信録雲、宣徳七年、宣宗以外国朝貢、独日本未至、命内官柴山齎勅至国、令王遣人往日本諭之と見えたり、これ実に我永享四年にあたれり、かヽれば二書にいふところ、この時より後れたればその始にあらざるおしるべし、