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台湾形勢一斑
名称 台湾は、往古支那に於て、東蕃と呼来りし地にして、宋代には昆舎那と呼び、蛮民の住する島嶼とし、明代に至りて、支那人之に往来し、外国と密商するに及び、北港或はぺき〈あん〉でと雲ひ、古代日本航海者の高砂〈培加沙古(たかさこ)とも書なり〉と雲ひ、支那人の台湾と雲ふは同じく安平港の、仍島嶼にして、未だ本島と連続せざりし時の名にして、全島の名に非ざりしなり、西洋人の本島おふ〈おる〉もさ〈美島の意〉と呼ぶは葡萄牙人の名けたるより始まれり、台湾お全島の名とせしは、康熙二十二年、〈◯我天和三年〉全島始て清朝に属するの時にあり、