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古事記伝
二十一
道口とは、其入初る処お口と雲、奥方お尻と雲、〈人体の口と尻とも同じ〉其に前後の字お用ひて、北陸道にては、古之乃三知之久知は越前、古之乃三知乃奈加は越中、古之乃美知乃之利は越後と雲、山陽道にては、岐比乃美知乃久知は備前、吉備乃美知乃奈加は備中、吉備乃美知乃之利は備後と雲、西海道にては、筑紫乃三知乃久知は筑前、筑紫乃三知乃之里は筑後、比乃三知乃久知は肥前、比乃美知乃之利は肥後、止与久邇乃美知乃久知は豊前、止与久邇乃美知乃利は豊後と雲り、並和名抄に見えたり、此は吉備国に将入る道口にて、後までも播磨は、山陽の道口にてぞある、さて此に為道口と雲る由は、水垣宮段に、東方十二道とある処〈伝廿三の五十八葉〉に委雲べし、考合すべし、凡て道口道尻と雲も、其国お治に、京よりゆく路の次序につきて雲名なり、