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松の落葉

筥根路 万葉集の歌に、足柄乃(あしがらの)、筥根飛起(はこねとびこえ)、行鶴乃(ゆくたづの)、乏見者(ともしきみれば)、日本之所念(やまとしおもほゆ)、とよみたるおおもへば、はこねもあしがらにてはあれども、その足柄のうちに、ことに足柄といひし山ありて、筥根とはことにいへり、そは日本後紀延暦二十一年のところに、廃相模国足柄路開筥荷途、〈◯中略〉と見え、同二十二年のところには、廃相模国筥荷路、復足柄旧路とみえたるにてもしられたり、筥荷路といふは、足柄路と同じくにのうちにて、ともに東にゆく道なれば、今の筥根路なるべし、いにしへははこねとも、はこにともいひたりけん、詞したくしくかよへり、此路延暦のころひらかれてよりのちは、ちかくてたよりよきまヽに、廃筥荷路とはあれども、なほたえずして、やう〳〵に人のゆきヽおほくなれるさまなり、はこね路おわがこえくればいづのうみや沖の小島になみのよる見ゆ、と鎌倉のおとヾのよみたまひたれば、これも大路なりけり、又阿仏のいざよひの記に、二十八日、伊豆のこふおいでヽ、はこねぢにかヽる雲々、あしがら山はみち遠しとて、はこねぢにはかヽるなりけりといへるお見れば、足柄路はとほくて、たよりあしければ、はこね路にかかれるにて、かなたはゆきヽのすくなくなりて、つひにみちたえぬべきさま見えたり、されど真須鏡七の巻に、いらぬまの判官といふもの、さきの将軍のぼりたまひしみちもまが〳〵しければ、あとおもこえじとて、あし柄山およきてのぼるなどぞ、あまりなる事にやといへれば、正応のころまでも、なほ足柄路おたヾしき道とはしけるよしなるに、いつのころにかたえて、今の筥根路ひとすぢとはなりけん、くはしうはしられず、