[p.0028]
徳川禁令考
四十七諸法度
享保四亥年四月 路次之上に家根仕間敷旨 一当二月類焼之町々、家作仕候はヾ、路次之上に屋根仕間敷候、当分之小屋掛は勿論、重而普請仕候共、右之通可相心得候、且又路次之口も戸計にいたし、上に鴨居等之物付候儀、無用可仕候、 一類焼以後、路次には屋根不仕、路次通之庇並に仕付候場所も可有之候、け様之所は路次通之庇は、路次并庇おも取はなし可申候、 一当二月類焼之町々之外、前々類焼之町々も、路次には屋根不仕、路次通之庇家並に仕付候所も、路次通之庇は取はなし可申候、 一前々類焼之町々、路次之上屋根仕付候所は、当分其通に差置可申候、重而本普請之節は、右之通可相心得候、路次屋根并庇無之所、路次之口戸計に致、鴨居等之物一切差置申間敷候、 一路次之奥に、裏店に而無之、家主など住居致し、路次お門に用ひ来り候而、路次之上に屋根無之候而は、殊之外迷惑に候者も有之候はヾ、委細絵図に相認候而奈良所江可差出候、 四月 右之通、先達而申渡候処、今以其儘差置候町々可申付候、追而見分相廻り候儀も可有之候間、少も油断有間敷候、以上、