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東照宮御実紀

慶長九年二月四日、右大将殿〈◯徳川秀忠〉の命として、諸国街道一里毎に堠塚〈世に一里塚といふ〉お築かしめられ、街道の左右に松お植しめらる、東海中山両道は永井弥右衛門白元、本多左大夫光重、東山道は山本新五左衛門重成、米津清右衛門正勝奉行し、町年寄樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門もこれに属してその事おつとめ、大久保石見守長安これお総督し、其外公料は代官、私領は領主沙汰し、五月に至て成功す、