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安斎随筆
前編十五
一道路里数 勘者御伽双紙に雲、塵劫記に雲、曲尺六尺五寸お一間とし、六十間お一丁とし、三十六町お一里とす、或人雲、伊勢道は四十八町お一里とすといひ伝へたり、近ごろ一算士の説お聞くに、伊勢道四十八丁と雲は偽なり、馬子駕籠かきの類の為にする事ある故、かヽる事おいひなすなり、東海道の里程は、曲尺六尺お一間とし、六十間お一町とし、三十六町お一里とす、伊勢道は隻六尺五寸お一間とするのみたがひて、余数は東海道に替る事なしといへり、然れば伊勢道は一里六尺間の三十九町にあたるなり、一里ごとに三町多し、伊勢道の十二里は、東海道の十三里に当るなり、いかなる故に四十八町お一里とするぞといへるお考るに、山田の外宮宇治の内宮の間、四十八町あり、是お所の人一里と称するより起るなるべしといへり、又或儒者の雲、西国はみな四十八町お一里とすといへり、又延喜式東西両京の丈尺お記するにもとづきて算ふる時は、一町は四十丈なり、若し是お六十間とみれば、一間は六尺六寸六分有余なり、一間の尺寸和漢ともにいぶかし、〈右御伽双紙は、算術士中根保之丞法艘所著、〉