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玉勝間

畿内七道のよみ又郡司のよみ 此二書〈◯西宮記北山抄、〉お合せて考るに、西宮記の方に、東海道お、うちべつみちとある、上のち(○)は写し誤にて海辺つ道なるべし、へ(○)もじ濁るべし、うべつあちは、うみべのみ(○)お省きたるにて、是も海辺つ道なるべし、あちは、即道なり、昔の片仮字には、み(○)おもあ(○)と書ること、書紀の訓などにも多く有て、まぎらはしきなり、これ必差ありけむお、今は見分がたくなりぬ、ひうがしは、ひんがしといふと同じ、こはもとひむかしにて、むは、たしかにむといひ、かも清たる言なるお、音便にて、むおうとも、んともいひ、それに引れて、か(○)おも濁るなり、日向(ひむか)お、ひうがといふも同じ、東山道お、うめつみち、北海道お、やまのみちとあるは、後に写すとて、所お誤れるなり、うめつみちは、東海道の読、やまのみちは、東山道の読なり、北山抄正し、さてうめつは、かのうべと同じくて、べ(○)お通はしてめといへるなり、北陸道お、くるがのみちとある、くるがは、くぬがお唱へ誤れるなるべし、くぬがは、今世にも陸といふ是なり、山陰道お止ものみちとあるは、止の上は、曾字有しが脱たるなり、そも〳〵西宮記おのが見たるかれこれの本どもは、みな上の件のごとくなるお、写し誤とおぼしきところ〴〵は、善本今も有べきなり、北山抄のかたは、すべて正しく見ゆ、其中に、北陸道に、きたのみちといふ読なきは、落たるにや、南海道西海道の例によるに、これも北の道ともいふべきなり、又二書ともに、山陰道にかげとものみち、山陽道にそとものみちとある説は、ひがことなり、かげともは影面にて、南おいひ、そともは背面にて北なるお、さる意おもしらぬ人の、陰字によりて、ゆくりなくさかしらに入れかへたるなるべし、さて又東海道は、ひうがしのうみのみち、東山道はひうがしのやまのみちなどあるぞ、字にあたりて、正きさまに聞ゆめれど、此たぐひは、中々に後の訓にて、東海道は、うめつちなどいひ東山道は、東の道又山の道といひ、北陸道は、くるが道、又きたの道といひ、南海道はみなみの道、西海道はにしの道といへるぞ、返りて正しかるべき、こは互にまぎるヽことなきかぎりは、言お省きて、つヾまやかに短く定めたるものと聞ゆればなり、書紀の巻々に見えたる訓も、畿内はうめつくに、東海道は、うべつみち、又うみつみちとも、東山道は、やまのみち、又あづまのやまのみちとも、北陸道は、くぬがのみち、又くにがのみち、又くむかのみち、又くるがのみちとも、山陰道は、そとものみち、山陽道は、かげとものみち、南海道は、みなみのみち西海道は、にしのみちとあり、〈◯下略〉