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類聚名物考
地理六
東海道 昔の道は、今の往来とは少しく異なり、中山道のうちへかヽりて、美濃路おへて尾張へ出て、今の道お通りて、駿河より足柄関お越て、小田原の下へおりたり、その比の紀行、太平記等に出るさまにてしられたり、 太平記〈巻二〉俊基朝臣再関東下向之事〈文繁ければ此に略てしるさず、地名のみお書す、〉帝都 相坂関 打出浜 水海 勢田橋 宇根野 守山 篠原 鏡山 老曾の森 番馬 醒井 柏原 不破関〈美濃〉 尾張 熱田八剣 鳴海 遠江 浜名橋 池田宿 天竜河 小夜中山 菊川 大井川 島田 藤枝 岡部 宇都山 清見潟 三保け崎 奥津 かん原 富士 浮島け原 車返 竹下道 足柄峠 大磯 小磯 小ゆるぎ 鎌倉 右元徳二年七月十一日に、六波羅へ召とられ、関東へ下向あれば、十二三日の比、京お出られしと見ゆ、末に七月廿六日の暮程に、鎌倉に著給ひしよし見ゆれば、十五六日の日数にて下られしなり、