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千曲之真砂

東山道木曾路駅伝 私曰、世諺誤て中山道といへり、甚非也、尾州名護屋より清洲へ出、それより美濃大垣へ出る道あり、これ朝鮮人などの通る道なり、東海東山両道の中お通る陸路故に中山道と称す、今の木曾路お中山道とはいふべからず、東山道または木曾路といふべし、誤来りて公義の御触書などにもたま〳〵見ゆ、又武州上州辺の駅宿の分抗にも中山道と雲り、いと拙し、又或人のいはく、東海北陸両道の中お経れば、中山道と名付るといへり、是は猶以然るへからず、七道の一名、凱両道の間お以て名付といふ事あらんや、僻説といふへし、東山道の木曾路といはんに論あるべからず、