[p.0090][p.0091]
太平記
三十九
光厳院禅定法皇行脚御事 光厳院禅定法皇は、〈◯中略〉人工行者の一人おも不被召具、隻順覚と申ける僧お一人御供にて、山林斗薮の為に出立させ給ふ、〈◯中略〉経日紀伊川お渡らせ給ひける時、橋柱朽て見るも危き柴橋あり、御足冷く御肝消て渡りか子させ給ひたれば、橋の半に立迷ておはするお、誰とは不知、如何様此辺に臂お張り、作り眼する者にてぞある覧と覚えたる武士七八人、跡より来りけるが、法皇の橋の上に立せ給ひたるお見て、此なる僧の億病気なる見度もなさよ、是程急ぎ道の一つ橋お渡らばとく渡れかし、さなくば後に渡れかしとて押のけ進らせける程に、法皇橋の上より被押落させ給ひて、水に沈ませ給ひにけり、