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太平記

千剣破城軍事 同〈◯元弘三年〉三月四日、関東より飛脚到来して、軍お止て徒に日お送る事、不可然と被下知ければ、宗徒の大将達評定有て、御方の向ひ陣と敵の城との際に、高く切立たる堀に橋お渡して、城へ打入らんとぞ巧まれける、為之京都より番匠お五百余人召下し、五六八九寸の材木お集て、広さ一丈五尺(○○○○○○)、長二十丈余に梯おぞ作らせける(○○○○○○○○○○○○○○)、梯既に作り出しければ、大縄お二三千筋付て、車お以て巻立て、城の切岸の上へぞ倒し懸たりける、旅般が雲梯も角やと覚て巧也、軈て早りおの兵共五六千人、橋の上お渡り、我先にと前だり、あはや此城隻今打落されぬと見えたる処に、楠兼て用意やしたりけん、投松明のさきに火お付て、橋の上に薪お積るが如くに投集て、水弾お以て油お滝の流るヽ様に懸たる間、火橋桁に燃付て渓風炎お吹布たり、慦に渡り懸りたる兵共、前へ進んとすれば、猛火盛に燃て身お焦す、帰んとすれば、後陣の大勢前の難儀おも不雲支たり、そばへ飛おりんとすれば、谷深く巌そびへて肝冷し、如何せんと身お揉て押あふ程に、橋桁中より燃折て、谷底へどうと落ければ、数千の兵同時に猛火の中へ落重て、一人も不残燃死にけり、〈◯下略〉