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飛州志
一土地
橋梁之製 綱橋 一名籠済と号す、是渓深く岩石高くして船も用い難く、桟道お作るには材力及ばず、故に昔より是お用い来れるもの也、是お造るは先づ太き苧綱お両岸に張宣し、岩石に結ひ固めて、命綱と雲、獼猴口藤お以て柱藤お四筋立て、其下に人の入るべき程の籠お作り附て、命綱に懸、其籠の前後に綱お二筋附て、両岸に引張りて引綱とせり、是おわたる人は籠中に立て、彼柱藤お左右にかいこみ、其身お固む、引綱お役する民、兼て両岸に居住し綱お引て通行する也、又其地の民は已籠中に居ながら、引綱おも手操てわたり、或は籠にも入らず、命綱に脚おからみ手操てわたるもあり、其業さながら翅あるが如し、凡長廿余間、或は卅余間なるものあり、命綱も常に緩みて、人わたるとき、岸より川の半までは其走ること箭お放つに似たり、又向ふの岸に至るは、是に異りて漸々と引揚るなり、乗る人其籠中に苦しみ、魂お消と可謂、籠のわたりは歌にも加賀の白山に読めりとなん、