[p.0108][p.0109]
閑田耕筆

懸崖絶壁数十丈屹立し、下は急流迅瀬にして、柱お建べからざる所、奇巧お以て橋おわたすもの、甲斐に猿橋、信濃に水内(みぬち)の曲橋など図お見、其話おも聞しが〈◯中略〉また此頃飛騨の人田中記文といふが訪来て、其国の藤ばしかごのわたりのことおかたり、且記せるものお示さる、藤橋三所有、其あらはれたるものは、吉城郡舟津町村にありて、高原川にわたす、東西各民家あり、西お朝浦といひ、東お東町といふ、川の両傍石崖突出せる上に架たるものにして、歳ごとに近県の民相つどひて改作る、長三十三間余、闊数尺、一柱お建ず、藤お経にし、木お緯にして、織こと席のごとし、往々木お横へて歩お進るの程限とし、両辺藤索お張て欄干に代ふ、是お攀て渡るべし、然も風に触てゆらめくからに、行人難み、あるひは匍匐て前むこと能ざるものあり、土人は重きお負ついたヾきて、しかも彼程限お踏て進む、かつて一歩おあやまたず、或は雨夜に燭お執らず、木履お穿て行となん、狗もよく行、牛馬は常に駄お解て水お游がしむれども、或は駄お解おまたずして、よく渡りし牛もありしとか、馴ればなるヽものなりなど、彼記に猶つばらかなり、記は高山の人田元義なる人著せり、真名文なるお今要おとりて和す、且其詩に、蒼藤織作橋千尺人似竜蛇背上行の句有て、さこそと、親しく見るこヽちせり、同郡茂住村、益田郡大島にもまたありといへり、