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槐記
享保十七年九月廿二日、参候、日本にてそり橋(○○○)のことお反橋(○○)と書たり、反の字にそると雲和訓ある故なるべし、論語に橖棣之花、偏兮夫反せりとあり、反はそる心なり、夫故なるべし、然ども反橋と書こと漢の書にて御覧なし、堀へ御尋なりしが釣橋(○○)と書出たり、出所しかと不覚の由なり、越峯の八幡へ参りて、そりはしお見て、此地にも釣橋ありと申されしと承ると申す、先反の字お医書に、あの様な形ちに用たること有やと仰なり、〈堀も申す〉医書に角弓反張と申す時は、そる心にて侍る、釣も天釣内釣とて、そることに遣ひたりと申上、反のそるは、こちの方へそることなり、釣もつりあげてそる心なり、天の字内の字のそりやう違なり、反張も角弓の反にて、張字が付て聞ゆるなり、釣の一字にてそるとは雲がたかるべきか、又あちの字に虹橋と雲字あり、されどもこれは脚のなき橋のことなりと仰らる、日本のは子ばしの類なり、扠総じて唐絵お御覧あるに、日本の如くのそり橋と雲物お御覧なし、そりたる橋は必はねばしなり、大方は脚なき橋なりと仰らる、