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傍廂
後編
四大橋 江戸の四大橋はもと三大橋といひて、両国橋、大橋、永代橋の三なりしお、安永三年に浅草の大川橋出来しより、四大橋となれり、両国橋のみ本普請にて、外三橋は仮橋なれば、請負人の願ひにて橋の双方に番小屋ありて、武士の外は橋銭二文づヽとりしお、文化四年八月、深川八幡祭礼の日に、永代橋落ちて、千余人溺死したるにより、其時より皆がら本普請となりて、受人なければ、橋銭もとらず、