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嫌歳余録

江戸中橋々永代大橋の外は、橋請負と申者深川に住居、白子屋某と雲者壱人にて、先年より相勤、神田川定さらへおかねて拝領やしきにあり、橋々かけなほす事にあり、年々弐千金位づヽも所入にてくらしけるが、此度右之請負白子屋召揚られ、拝領やしきも御取揚にて、あらたに神田さくま町岡田治助、本所三つ目倉田清兵衛と雲両人へ、請負仰付られたり、白子屋請負の節までは、諸所の橋かけ置くの間かりばしお造り、かり橋往来の者より壱銭づヽ取て橋出来まで所徳とせしかば、橋出来の日限延引におよび、二三け月あるひは半年もかりばしにてありしが、右之両人へ仰付られしより橋ぶしん甚すみやかに出来し、諸人よろこびたるに、当暮に迫り江戸橋懸直しありしには、かりばしの間も往来の人より銭おとらず、無銭にて通用する事にありしかば、いづれも便宜成事にいひあへりしなり、