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道の幸

十八日、〈◯寛政四年十一月、中略、〉橋寺、〈◯中略〉近きころ礎石に文字有お見つけ、ほり出つヽよく見れば宇治橋の碑也とて、かくて有也といふ、文字は四字づヽ続て二段三行あり、三段の初一字づヽ見ゆ、その文は、浼浼横流 其疾如箭 修 世有釈子 名曰道登 出 即因微善 援発大願 結 以上廿七字あり、全文は帝王編年記に見えたり、然れども扶桑略記には、道登お道昭と書たり、水鏡には宇治橋は道登造れりといひ、編年記には元興寺道登、道昭奉勅造といへり、しかるお日本紀にしるされず、続日本紀道昭が伝に、此橋お造るとしるされて、道登が事はさらに聞えざれば、元亨釈書、本朝高僧伝等の書にものせず、いといぶかしきお、此石文の折ながらもかくつたはりて、道登といへる名のあざやかに残りたるぞ、其功もくちせでいとめでたし、〈◯中略〉道登が棟梁にて、道昭は力おあはせしものならんか、