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甲子夜話
十四
今年〈壬午◯文政五年〉夏、日本橋掛直しあり、総て新橋の渡り初には、年高き人渡り始ることなりとて、此度も長寿の老人何人渡り初めするなど、専ら世にとり沙汰あり、或日其処の町役に問たるに、答に、七月十日出来候て、御見分として町奉行筒井和泉守通られ、橋懸り町与力南北各一人、御勘定吟味役明楽八郎右衛門組頭一人、御普請役二人、何れも橋出来に付、総見分渡初めと名付け、翌十一日橋開(○○)につき、向前町内名主、家主共麻上下にて出て相渡り、其とき向前より行違ひ、中程にて一礼仕り、帰りの節も同く仕候、其時通り壱丁目名主、室町壱町目名主、其外家主共出候て、猶両町ともに壱町目計り総出仕り、弐町目より四町目迄、月行事計出る、右の外は何の手数も無く候、此とき左右の橋ぎはに、はや往来の者等渡るべしとて、大勢溜りいるお、町同心制して留置き、件の手数畢り、一同引候と、その跡は大勢我先に々々と群り通り候迄なりと雲たり、世の取沙汰と雲ものは、一つとして真実のこともなく、かヽることさへ隻尺の処にて、妄説起るものなりけり、