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台記
久安四年六月廿八日甲寅、去比女房土左、〈余(藤原頼長)実母姉〉問入内〈◯頼長養母近衛后多子〉事成否於一条堀川橋(○○○○○)〈余不知之〉二度、始日曰、心に思はむ事不協と雲こと有なむや、後日雲、住任理て申さむ、協はで有む慬事〈あること也、〉 七年正月十日壬午 久安六年十月二十六日辰、一条堀川橋占、〈左近府生秦公春注進〉 一ばんのことば ここ、ゆみとらせん、よヽいさとりあはせん、したりとりはよきに、いかなとむとりなりとも、もてた、あはせむ、よにまけじに、 又つぎのことば ほどもなく、これおみたびとほりぬ、なこれおますぐにいけば、あれはよびてこむ、