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源平盛衰記
十五
宇治合戦附頼政最後事 宮〈◯高倉〉は御馬に召て既に寺〈◯園城〉お出させ給、〈◯中略〉宇治の平等院に入進らせて御寝あり、其間に宇治橋三間引て、衆徒も武士も宮おぞ奉守護、〈◯中略〉平家の兵共、雲霞の如くに馳集て、河の東の端に引へて時お造る事三箇度、火しとも不斜、宮の兵共も時の音お合て、橋爪に打立て御矢射けり、其中に寺法師に大矢の秀定、渡辺清、究竟の手だりなりけるが、矢面に進て差詰差詰射けるにぞ、楯も鎧も不協して、多の者も討れける、平家の先陣も始は橋お隔て射合けるが、後には橋上に進上て散々に射、〈◯中略〉夜もほの〴〵と明ければ、寺法師は筒井の浄妙明春と雲者あり、自門他門に被免たる悪僧也、橋の手にぞ向ける、〈◯中略〉明春雲けるは、殿原暫軍止め給へ其故は敵の楯に我箭お射立て、我楯に敵の箭おのみ射立られて、勝負有べきとも不見、橋の上の軍は、明春命お捨てぞ事行べき、続かんと思ふ人は連やと雲儘に、馬より飛下てつらぬき抜捨、橋桁の上に挙りて申けるは、者その者にあらざれば、音にはよも聞給はじ、園城寺には隠れなし、筒井浄妙明春とて、一人当千の兵なり、手なみ見給へとて散々に射ければ、敵十二騎射殺して、十一人に手負て、一つは残して箙にある、箭種尽ければ弓おばかしこに投捨ぬ、彼はいかにと見処に、箙も解て打すて、童に持せたる長刀取、左の脇にかい挟みて射向の袖おゆり合せ、しころお傾、橋桁の上お走渡る、橋桁は僅に七八寸の広さ也、川深して底見えざれば、普通の者は渡べきにあらざれ共、走渡りける有様、浄妙が心には、一条二条の大路とこそ振舞けれ、廿人の堂衆等も続ざりける、其中に十七になる一来法師計こそ少も劣らず連けれ、明春元より好所也ければ、今日お限と四方四角振舞て飛廻りければ、面お向る者なかりけり、〈◯中略〉明春に並たりける一来、今は暫く休給へ、浄妙房一来進て合戦せんと雲ければ、猶然べしとて、行桁の上にちと平みたる処お無礼に候とて、一来法師兎ばねにぞ越たりける、敵も御方も是お見て、はねたり〳〵あつはねたり、越たり〳〵よつ越たりと、美ぬ者こそなかりけれ、〈◯下略〉