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万葉集略解
十一下
おはり田は、推古天皇十一年十月、豊浦宮より小墾田宮へ遷ませる事紀に見ゆ、神名帳大和高市郡治田神社と有、板は坂の誤にてさかた也(○○○○○○○○○○○)さかたとせる事は、小墾田の金剛寺お坂田尼寺といへり、推古天皇鞍作鳥に近江坂田郡水田お賜ける時、鳥天皇の御為に此寺お建たれば、坂田寺といふなるべし、南淵山細川山より水落合て、坂田寺のかたへも流るといへば、そこに渡せる橋おいふならんよし契沖いへり、舒明天皇二年十月に、飛鳥岡本宮へ遷ませしより、小はり田は故郷と成て、そこの橋の板の朽たる程の歌なるべし、こヽお後世誤りて、おはたヽのいたヽとよめる歌有、 ◯按ずるに、板田と称するもの、此他尚ほ摂津国、尾張国等にもあり、