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摂陽群談
八野
雉子畷 同〈◯西成〉郡垂水村にあり、所伝雲、昔此所の長者岩氏と雲者あり、西成郡長柄橋お造る人柱なくて成就し難きに依て、岩氏其人お撰に、継したる袴著たらん者お捕て沈むべしとの約お成て改之、岩氏が著たる袴然之、其誓約お許す、終に捕と成て水底に入ぬ、因て橋成就す、岩氏一人の娘あり、美容世に勝て紅顔朝日お嘲ばかり也、是故に号て光照前と称す、然るに成長までに不言して唖の如し、母の悲歎限りなく深く蔵之、于援河内国交野郡禁野里の何某、是お恋て垂水の家に告て迎之、辞し難して終に禁野の家に遣す、猶言ざること久し、夫怪んで亦送り帰す、此畷に至る時、雉子の鳴声お夫尋よりて射之、於于是光照歌雲、物言じ父は長柄の橋柱鳴ずは雉子も射られざらまし、と繰返し吟之、夫驚き母の許にも行て禁野に帰り悦びあへり、時人雉子畷と号く、今の世までも袴に継する事お忌る諺は、其是縁也と雲へり、光照も父の後世お問ため、終に剃髪、自不言尼と法号して、栽松寺に入れり、後に又山城国山崎の辺に不言尼寺お草創す、当国大願、栽松両寺の略記に然り、