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基俊和歌口伝抄

一長柄のはしもつくるなりとは、是に二の儀あり、一にはつきたるなり、そのゆへは拾遺抄の歌に、内裏の障子に、長柄の橋の柱の、あしの中よりくち残りてたてるやうにえにかけるおみて、 あしまよりみゆるながらの橋ばしらむかしのあとのかたみなりけり 此歌の心にてはつきたる儀なり、一には歌に雲、 つの国のながらの橋もつくるなり今はわが身おなにヽたとへん 君が代はながらのはしのちたびまでつくりはてヽもなおやふりなん と雲歌の心なり、此儀にて候なり、両儀ともに不違、其謂には古今拾遺の中の間の時代おかぞふれば、世は六代、年八十一年にあたれるなり、されば此序は、かの橋お作りかへられし事おかき、拾遺には、かのはしの八十余年が間に、くちにける事と証するにや、しかるにふじの山は煙たヽず、ながらの橋はつくるといふべきに、さはかヽで、たヽずなり、ながらの橋もつくるなりと聞は、歌にのみぞと雲へるなり、和歌の道おひろくおもく申侍りけるなり、古今にも此心なるべし、