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栄花物語
三十八松の下枝
二月〈◯延久五年〉はつか天王寺に詣させ給、この院おば一院とぞ人々申ける、後三条院とも申めり、女院〈◯後朱雀后禎子内親王〉も一品宮〈◯聯子〉もまうでさせ給、〈◯中略〉廿二日のたつのときばかりに御船いだしてくだらせ給ふ程に、江口のあそび、ふたふねばかりまいり、禄などおぞたまはせける、〈◯中略〉こヽはいづくぞととはせ給、東宮大夫ぞつたへとひ給、これはながらとなん申すといふ程に、そのはしはありやとたづねさせ給へば、候よし申す、御ふねとヾめて御らんずれば、ふるき橋の柱たヾ一のこれり、いまはわが身おといひたるは、むかしもかくふりてありけると思もあはれなり、〈◯中略〉廿五日の辰時ばかりにぞ御船いだす、〈◯中略〉実政お御ふねにめしあげて、歌ども講ぜさせ給、〈◯中略〉 左兵衛督資仲 おとにきくながらのはしはなかりけり(○○○○○○○○○○○○)ちどりばかりぞなきわたりける