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家長日記
一歳三熊野詣の御悦に、長柄の御宿に著せ給ふ、〈◯中略〉渡辺の橋の上に行かふ駒の足おと、おどろ〳〵しくふみならし、船呼ばふ声々もかしましければ、御前の辺は何となくしめやかなるに、昔の長柄の橋とかやは、此渡なりけんかし、隻名ばかりお聞わたるに、跡おだに見てしがなと思召たり、いづくお指てか見えんずべきなど、且は笑申合り、御前に少将雅経候が、其橋柱の切れは持て候者おと申す、京にて急ぎ参らすべき由仰あり、隻朽たる木のはしに侍り、何計のしるしにかはさとも思召べきなど申合り、是は此渡りの住人滝口盛房と申すおのこの伝へ持て侍りしなり、それが先祖に侍りけるもの、此川の辺おあやしき舟に乗てわたり侍りけるに、舟にこたへて舟俄に不動かへりければ、人お卸して水底お探らせけるに、堀出せるなり、細に見侍れば、中に黒鉄の心たてヽ、柱のたヽずまひの姿なり、さればよと思合せて、取て今に伝へたりけると申、京へ入らせ玉ひて二三日計ありて、此橋柱の切まいらすとて添たる歌、 これぞこの昔長柄の橋柱君が為とや朽のこりけん、返しせよと仰侍りしかば、 これまでも道ある御世の深き江に、残もしるき橋柱哉、是お文台にして和歌所に置かる、