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神民須知
今の大橋(○○)の辺は、昔は川の洲にて人家も無く、神官家も大半中村に居住せり、其後川の洲平地となり、人家も立ち続き、神官家も宇治に移住し、よきにつきて大橋お今の処に架せしなり、昔大橋のそば川原に在りし証拠は、先年今のそば川原の橋の処にて大なる橋杭等お堀り出しきと言へり、然るに士仏参詣記に、又滝祭神とて河の洲崎に松杉なんどの一村立てる計にて御社もましまさず、〈◯中略〉北お望めば長橋の流おきる有りと雲ふ、思ふに夫の滝祭より今の大橋の方、即北に当れば、仮令大橋今の処にあらずとも、見えわたりたる川下、岡田郷の内に在りしなるべし、