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紹巴富士見道記
廿九日〈◯永禄十年五月〉岡崎へとおもひ立に、八橋の杜若断絶の遺恨お歎きけるお、代官斎藤吉十郎聞伝へて、八橋の面馬場と雲ふ在所へも、使に樽添、郷人の古老の名主に下知して可植置よし有けるに、諸国の旅人根お引て行く故、跡もなき由と雲々、実もと思へるは、橋柱さへ削りとれる事と見えてあり、西に下馬堂と雲跡には松一むら、沢の半に時雨の松といふ一本有、餉食ひける木陰可成、東に少し岡あるに石塔あるは、業平の印といへり、在所の人に杜若になはせて植けるに、田になせる地お業平と答たる田お、則今よりして杜若寺にあておこなふよし、無仁斎永代の折紙書て、早苗お引すてヽ手づから植渡して、石塔の許へ上り、〈◯下略〉