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太平記
十四
矢矧鷺坂手越河原闘の事 去程に十一月〈◯建武二年〉二十五日の卯の刻に、新田左兵衛督義貞、脇屋右衛門佐義助、六万余騎にて矢矧河に推寄、敵の陣お見渡せば、其勢二三十万騎もあるらんと思しくて、河より東橋〈◯矢矧〉の上下三十余町に打ち囲で、雲霞の如くに充満たり、〈◯中略〉高武蔵守師直、越後守師泰、二万余騎にて橋より下の瀬お渡して、義貞の右将軍大島、額田、籠沢、岩松が勢に打ちかヽる、官軍七千余騎喚いで真中にかけ入りて、東西南北へかけ散し、半時ばかりぞ揉み合ひける、