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駅路の鈴

矢作川、是も水上信州、橋百九拾六間風也、江戸より京までの間に大橋四つ有、六郷吉田、矢矯、勢田也、此矢作の橋、昔は土橋にて有しときく、建武の御時、足利治部大輔尊氏鎌倉に在て、天子の命にたがひしかば、新田左兵衛督義貞節刀使お奉りて東征し、此所にて鎌倉の軍兵と戦ひ、勝て鷺坂まで逃るお追討て、官軍利お得し所也、古歌に、 狩人の矢矯に今夜やどりせばあすや渡覧豊川の水