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東海道名所図会

浜名橋 今廃す、橋本村はむかしの浜名の橋本也、又橋向ひに小松茶屋といふあり、これも廃す、橋跡は今才に橋爪の石垣など残る、〈◯中略〉浜名の橋の絶たる事は、いつのとしといふ事さだかにしる人なし、むかしより度々の波涛に松原お打崩したるゆへ、橋もおのづから損はれ落たり、有時ははづかに黒木おもつてわたし、圯橋などかけて、しばらくとし月へたる事もありしと見へたり、又隣国の騒擾に橋お落し、ゆきヽの自在ならざるお好む時代もありしにや、隻古詠のみ多く残りて、その蹟だにもさだかにしる人なし、むかし行基菩薩のかけ初給ひし山城の山崎橋も孝徳天皇の御代に架し給ひし津の国の長柄の橋も、こヽの類ひにやありけん、朽て久しき古歌のみ多し、