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海道記
十日〈◯貞応二年四月〉夕陽の影の中に、橋本の宿にとまる、〈◯中略〉夜も既に明ゆけば、星のひかりはかくれて、宿立人の袖はみえ、余所なる声によばれて、しらぬ友にうちつれて出づ、しばらく旧橋に立とヾまりて、めづらしきわたり、興すれば、橋の下にさしのぼるうしほ、かへらぬ水おかへし、上ざまにながれ松おはらふ風のあしは、かしらおこえてとがむれどもきかず、〈◯中略〉 橋本やあらぬ渡りと聞しにも猶過かねつまつのむら立 浪まくらよるしく宿のなごりには残してたちぬ松のうら風 十一日に橋本おたつ、橋のわたりより行々たちかへりみれば、跡にしらなみのこえは、すぐるなごりおよびかへし、路に青松の枝は、あゆむもすそお引とヾむ、北にかへりみれば、湖上はるかにうかんで、なみのしは水の顔に老たり、西にのぞめば、湖海ひろくはびこりて、雲のうきはし、風のたくみにわたす、水郷のけしきは、かれもこれもおなじけれども、湖海の淡鹹は、気味これことなり、浥のうへには、浪に翥みさごすヾしき水おあふぎ、舟の中には、唐櫓おすこえ秋のかりおながめて、夏の空にゆく、本より興望は、旅中にあれば、感腸しきりに廻りて、おもひやみがたし、