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甲斐国志
五十四古蹟
都留郡郡内領 一猿橋 駅の北にて桂川に架す、長拾七間、幅一丈壱尺、高欄あり、一刎木六間四尺、二刎木七間二尺、三刎木八間、四刎木八間四尺、地中に入こと又同じ、行梁は九間四尺、次梁は六間、橋上より水際まで拾七間弱、世に之お三拾三尋と雲、大概お雲なり、旧事大成経に曰、推古帝二十年、百済国帰化人、有白癩、巧掛長橋、令造遣諸国三河国八脛橋、信濃国水内曲橋、木襲梯、遠江国浜名橋、陸奥国会津闇川橋、兜岩猿橋等、其外一百八十橋雲々、〈按に兜岩かぶといはと訓べし、甲斐の仮名には通がたし、此書後人の妄作にして、採聞に足らずと雖も、一時世に行はれし書なれば、姑く此に記すのみ、〉古人雲、此地末架橋以前は、びく島と雲き、鳥沢より渡船にて藤崎地に移りて此地お往来せり、時に猿あり、断岸の藤蔓お伝ひ向の岸に到るお見て、創て橋お作れりと雲、大嵐村蓮華寺仏像の銘に、嘉禄二年九月、仏所加賀守猿橋住人也とあれば、地名お猿橋と称するも、已に久しき事なるべし、〈◯中略〉此橋修理の頃は、猿必ず来て橋下の樹秒に遊ぶと雲、橋南の傍に橋掛山王権現の小祠あり、