[p.0287][p.0288]
用捨箱

六郷酒勾之土橋 六郷の橋絶て後、土橋のかヽりし事のあり、〈◯中略〉春秋落水はげしきときは、妨となるが故、橋あるは冬春のみなり、〈◯中略〉誰袖の海〈宝永元年印本〉に、六郷の渡り、援も三月より九月頃までは、土橋かヽるとあるは、九月頃より三月までといふお書誤りしなり、筑波紀行桜の実、〈享保五年〉 蜀黍や思ひのたけお葉にさかれ 五株 六郷とれてかさヽぎの橋 〈撰者〉貞佐 六郷の橋はとれて、鵲の橋はかヽれりといひしなり、前にも記す如く、酒勾も此所も、秋は橋のなければなり、されば享保の頃までも、冬春は土橋のかヽりし歟、又元禄十四年不角が紀行、笠の蠅六郷の条、此橋先年〈◯元禄元年〉大水に落て、今は長柄の橋の影ぼしとなりぬ、此渡りの船賃、武家の外は二文とあり、土橋の掛りしは、当時〈元禄の末おいふ〉なれど、標題にも知らるヽ如く、五月の紀行なれば、土橋のなきなるべし、