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遊囊剰記

六郷渡は橋の権輿詳ならず、永禄に其名見ゆれば、北条家の盛時に掛初けるにや、海道四大橋の一と聞えしも、貞亭に流亡してより永く此渡となり、今は橋柱さへ朽果ぬ、浜名長柄と同日の譚なるべし、〈◯中略〉 六郷渡は多摩川の下流、荏原、橘樹両郡の境なり、川の北方に六郷村あり、よつて川の名とす、橋の長さ元禄前後の書お歴検するに、玉露叢おはじめとして、多くは百九間に作る、其或は百八間百廿間につくるは、伝聞の誤なるべし、