[p.0290][p.0291]
江戸名所記

日本橋 橋の長さ百余間、此みなみにわたされし橋の下には、魚舟、槙舟数百艘こぎつどひて、日毎に市おたつる、橋のうへよりみれば、四方晴て景面白し、北に浅草寺、東えい山みゆ、南にふじの山峨々とそびえ、嶺は雲まにさし入て、鹿の子まだらに降つむ雪までのこりなくみゆ、西のかたは御城なり、東には海づらちかく行かふ舟もさだかにみえわたれり、されども橋のうへは、貴賤上下のぼる人くだる人、ゆく人帰る人、馬、のり物、人の行通ふ事、蟻の熊野まいりのごとし、あしたよりゆふべまで橋の両わき一面にふさがり、おし合もみあひせき合て、しばしも足おためて立とまる事あたはず、うか〳〵とかまへたるものは、ふみたおされ、蹴たおされ、あるひは帯おきられて、刀わきざしおうしなひ、あるひは又きんちやくおきられ、又は手にもちたる物おもぎとられ、たまたま見つけてそれといはんとするに、人だまひの中に立まぎれて跡お見うしなふ、すべて西国より東国のすえまで、諸国の人の上下往来する日本橋なれば、まことにせきあふもことわり也、橋のしもなる市の声、橋の上なる人の音、さらに物のわけもきこえず、隻わや〳〵とどよみわたるばかり也、 あめがしたなびきわたりて君が世のさかゆく江戸おしる日本橋