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江戸名所図会
十七
橋場 今神明宮の辺より南の方今戸お限り橋場と称す、旧名は石浜なり、〈(中略)按に、(中略)橋場の号おそらくは道灌下総の千葉家お攻る頃より発るならん、南向亭雲く、隅田川の渡場より一町ばかり川上に、むかしの橋の古杭水底にのこりて、舟筏のゆきゝにさはり侍るよし、されど其橋いづれの頃のものにやと雲々、依て考ふれば、今のわたし場より一町ばかり川上、神明宮の大門の通り、其旧跡なるべき歟、また里老伝へいふ、此地法源寺大門の通り、および今のわたし場より南の方、監船所のあたり、共にむかしの橋場の旧跡なりといへり、然る時は三所共に橋おかくるに似たり、これによつて考ふれば、梅花無尽蔵に所謂長橋三条お構ふとある意に協へるならん、〉