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塵塚談

浅草大川橋、〈俗に雲吾妻橋〉明和九辰年二月晦日、目黒行人坂より出火し、江戸三分一も焼亡す其節は此橋なし、一筋道にして真崎千住おさして逃たり、故に老人小児は歩行思ひもよらず押あひける、其中へ屋敷より追放の馬も来りしにより、怪我も有しなり、此橋のかヽれるは、出火の節の大なる俾益也、