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遊囊剰記

両国橋は永代、大橋、東橋お併て大川の四大橋と称すべし、春夏の頃扁舟お泛て、三股お過て竪川に入て、天神羅漢お巡詣し、或は隅田牛島の辺に遡洄するも亦一快ならずや、 玉露叢、明暦三年(○○○○)、〈◯中略〉武蔵と下総との境、浅草川の末、無縁寺の前に、新に長橋お掛らる、長さ九十六間、両国橋といふ、年月お経て万治三年(○○○○)に成就す、〈◯中略〉 一説、両国橋は寛文元年(○○○○)初て掛らる、奉行は芝山権左衛門、坪内藤右衛門、其後天和元年掛替御手伝真田伊賀守、奉行松平采女、舟越左門、矢の倉脇に仮橋お設く、今援お元両国(○○○)といふ、然るに掛替績用ならざりしかば、各其罰お行はる、十五年の間仮橋お用ひらる、元禄九年三月、町奉行川口摂津守、能勢出雲守、承て経営し、九月落成せりといふ、