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閑田耕筆

江戸両国橋お、いかにも浅ましき浪人、妻子お具して通りかヽりしが、薩摩芋おうるお見て、小児あれほしといひてうごかず、さま〴〵にすかしこしらふれどもきかず、止ことお得ずして芋売者に乞らく、見らるヽごとく也、されども今銭なし、しばし貸給はれ、其うち銭とヽのはヾ、たがはず返すべしといへどもうけがはず、あてもなき人に銭かすべきものかはととりあはねば、せんかたなく泣児おつれて行過る時、雪踏お直す餌取、さきよりのやうすお見しかば、ひそかに其人おまねきて、あまりにいたはしければ、今有所の銭十字お参らせん、芋おとヽのへ給へ、いつにてもかへし給はんことは御心のまヽ也といふに、浪人とりて押いたヾき、思はぬ情おうくる事なり、されどもこれはかり受たる同前なり、用べからずと返す、餌取吾かヽるものなれば、さのたまふは理なれども、事によるぞかし、たヾ〳〵と勧れどもうけず、橋の欄干によると見えしが、児お引つかんで水に打入る、妻これはとおどろくお、又足おかきて倶に投入、つヾきてみづからも飛込たり、見る人驚といへども救べきよしなく、忽溺れ死たりとなん、大志ある人にはあらねど、其廉恥賞すべし、悲むべし、