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甲子夜話
二十九
今年〈癸未◯文政六年〉梅雨の頃、日和続て炎気堪がたきほどなりしが、土用に入りてより雨霖おなし、昼夜陰霽一ならず、六月廿一日、増上の恵照院普門律師のもとに往しに、大川の辺に到れば、川水溢れて往還の道も殆んど川中に異ならず、両国橋お渡るに、川水赤く、橋下に脹落るさま急流眼お射る如し、橋欄の側に二人持、或は四人持ほどなる石お多く並べて、橋お鎮むるの計おなす、夫より増上寺へ往たれども、帰路心もとなく、八時の頃辞し去りて又両国橋お渡るに、鎮石の外に四斗桶お多く並べ水おたヽへたり、是も鎮お増さん為なり、水勢は弥々まさり、川しもなる大橋の中ほど凹み傾きたり、両国橋も橋杭やヽ動揺すれば、轎に乗て行くに舁夫は地震に歩するが如し、