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夢の憂橋

八月〈◯文化四年〉十五日、深川八幡三十四年目祭礼に而、殊に今年は見延山尊像、同所浄心寺に而開帳有之、依て其賑ひいはんかたなし、〈◯中略〉しかるに十五日は雨降り、十九日に相成、当朝神輿三社、第一は八幡宮、第二は大神宮、第三は春日宮となり、外之祭礼は跡より神行なり、深川は橋々の往来群集につき、早朝より神輿渡候古例のよしにて、既に当朝輿舁百人ほどづヽにて揚候処、いか成事にや、三神とも動かず、輿より水のたるヽ事汗の如しとかや、〈◯中略〉四つ時過群集おなし、やれ橋が落る、それ橋が落るといへども、人々更に不入聞、折節本所しゆもく橋辺にて、十七八歳の女首お切落され候由にて、是へ参る人に、祭の人一ぱいに相成、折から橋向へ一番のだしお引出せしお、それ祭が渡ると雲程こそあれ、えい〳〵声にて、又向にはかさなる人にて、鉄棒おふり廻し打はらへば、橋の上へ逃上り、此方からは押かヽり候、折ふし東の橋詰より一と間残し、竪十二間ほど二つ折て落けるにぞ、又跡より押落し候人幾ばくの由、やれ橋が落た〳〵と呼はれども、偽とのみ心得しにや、却て押もあり、又中程が落しとこヽろへ、東おさしてにぐるもあり、又此騒動にそこばくの怪我ありとかや、然るに或士橋桁にしがみつき、刀おぬき振回しけるお見て、夫喧嘩じや、やれ抜たはと雲程こそあれ、人々西おさして逃帰る、此仁に助られし人いくばくか知れずとなり、誠に即智の働き、万人の命にありとぞ聞へし、〈◯中略〉 人数大積り橋竪十二間、巾四間程、此坪数四十八坪、但一坪老若二十人詰、凡九百六十人、此目方九千六百貫目程、但壱人十貫目平均、外に落され候人不知と也、 早速川中の船御用船に御引上げ、流るヽ人御助ありて、怪我人は十が一にも及ばずと、是御威光の難有所なりと、人々感涙せしとぞ、〈◯又見甲子夜話〉