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永代橋危難
川岸に出しばしがほどやすらひて、橋お見わたしたるに、人のこみ合真黒く、其中に幟、あげごし、かさぼこのかず〳〵、はやしたてヽわたる、何も見事の祭にて、見物のぐんじゆ左こそと思はるれ、やがて小船お呼かけて乗つ漕出て見るに橋の杭のことにゆがみたるあり、其ひずみかうらんに見えたる、あやふき事よと見あげたるに、ねりゆくも此祭ばかりにて、橋の左右に立居たるぐんじゆ、一同にこの跡につきて、深川の方へわたらんとすなれば、西の方は人すくなく、まばらに見えし、既に川の中ばにも乗たらんと思ふほど、跡の方にて大ぜいの人声すさまじく聞えければ、驚ふりかへり見るに、めり〳〵とひヾきて、さしも大きなる橋げた、たわみくぼむと見しが、中九尺ばかり板のあきたる処より落入る人々、千石どほうしへ米の落入がことく、あまたのぐんじゆ左右より落かさなり、しばしはくがぢの如く、人のうへに人かさなりて、水に落入さま、見るもいたましく、其声耳もつぶるヽ計也、岸に有つる舟はみな漕出て、引上げ〳〵、又板子おなげ出し〳〵、是に取つき流るヽお引上げ助るもあり、〈◯中略〉さてはじめの程引上し男女、死に及ぶべきも見えず浮出たるお、皆引上しは、四つ半頃なりしが、其後追々に浮出しは、皆気絶してありしお、引上々々おびたヾしき事ゆえ、男女おわかち、老人小児おも所おかへならべ置しお、ゆかりの人々尋あたりしは、さま〴〵に介抱し、又は連行も多かりし、其日は大橋もゆきヽおとヾめ、両国橋のみ渡る事なれば、夜に入ても挑灯のゆきヽ夜半ともしられず、翌廿日には橋近き佐賀町に、仮の役所御しつらひ、月番与力衆御詰、御撿使もとく済て御引渡被成候趣お、町中御触も有し程也、当日より其夜に至ても尋あたりて連行しは数しらず、訴て引取し分は、其名処もとヾめし事とて、其分男女小児とも四百廿余人と聞えし、〈◯下略〉