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花月草紙

深川の八幡のやしろのまつりある日、おほくの人みにいきけり、二つ三つばかりの子おいだきて、母の行きたるが、大なるはしあり、わたらんとすれば、その子のひたなきになきてやまず、橋おわたらじとかへればなきやみつ、いかにしつることよとて、さま〴〵にすれどはじめにかはらず、まづさらばこヽらにいこふべしとて、はしのかたはらにいたるが、しばしヽてはしのうへのひとさわぎたちて、声のかぎりによびつヽあわてふためきにげまどふ、いかなることヽもわかずよくきけば、そのはしの半よりおちて、わたりかヽりし人千人許もおちしとなり、それおきくよりかの母も、おぼえずなみだおちてけり、いかにしてこの子のしりつらん、神仏のたすけ給ひしなりとて、ふしおがみつヽいそぎかへりにけり、その子のみかはその母もしりたれども、たヾ私の心におほはれててらし得ぬなりけり、もとよりそのわざはひにあふものは、おもてにもあふれて、そのあしき色おあらはすべければ、心のかヾみははやてらしけんおしらざりしなり、