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源平盛衰記
四十五
内大臣関東下向附池田宿遊君事 関山関寺打過ぎて、大津の打出の浦に出てぬれば、粟津原とぞ聞き給ふ、〈◯中略〉湖水遥に見渡せば、跡定なき蛋小舟、世に憂き我身にたぐひつヽ、勢多の長橋轟々と打渡し、野路の野原お分行きて、野洲の河原に出でにけり、